(140) 別れは幸福へのスタートかも

                              阪本信子 会員
 宗盛は7月23日全軍に引き上げを命じました。口上は「京で戦う」というものです。
 しかし、京は攻めるに易く、守るに難しい地で、何箇所もある出入り口に兵を配するとしたら、どれだけ多くの兵員を要するか、現在の平家では迚も無理です。
 宗盛は九州で再起を図ろうと決心しました。
 僅か4〜5時間の引越し時間で、一門の殆どは妻子を連れて行きますが、六波羅団地、八条第の全員を連れてゆける筈も無く、残してゆく妻子や、長年仕えてくれた家来の身のふり方までの配慮を考えれば、名残を惜しむ時間もなく、敗け戦とはこういうものかと改めて当時の人々の悲運を思います。
 平家作者は一門の公達の何人かについて、悲しい別れのエピソードを涙、涙で書いていますが、名も無き人々にも夫々人間ドラマがあるはずです。
 私の想像するところですが、皮肉にも残された者にとって、その別れが却って幸せのスタートになったケースも 多々あったのは確かで、強制された別れを絶好のチャンスと喜んだ男女もいたでしょうね。
 別れは不幸と考えるのは短絡的で、平家物語の悲愴感溢れる都落ちの文章の裏を読むのも楽しいものです。
 人間はそんなに単純なものではありません。 (つづく)