(142) 妻子同伴で戦えますか?

                              阪本信子 会員
数ある妻子の別れの中で、作者が特に維盛の場合を取り上げたのは、後に維盛が熊野沖で入水自殺する原因が妻子への煩悩、妄執によるものと考えているからで、その為には彼の家族愛を特記する必要があったのです。
戦乱というのは生木を裂くような別れを強いるものですが、情愛が深ければ深いほど未練が残り、妄執は深まります。
維盛は既に平家の行く末は幸いならざる事を予感していました。連れてゆくより別れる方が強い意志の力を必要とするもので、これも愛情の一つです。
平家のこれまでの連戦連敗を思えば、お飾りとは言え大将として彼に責任がないとは言えません。日々悩み、自信を失い心神耗弱気味で、これから先のことを思うと単身赴任を選んだというのも頷けます。
しかし、平家の男たちは先の見通しをどのように考えていたのでしょうか。最悪の事態、つまり戦いになった時、彼らは同行している妻子をどのように処するつもりだったのでしょう。
私は恐らく真剣に考えた事はなかったと思いますが、同時にそれは彼らの想像力の貧困さを感じさせるものです。
戦うことなくすんなりと新都に落ち着けるとでも考えていたのでしょうか。しかし、そう思っていたとしか思えない妻子同伴で、救いがたいノーテンキな平家はもう戦う氏族ではなく、すでに負けコースにはまりこんでいたのです。  (つづく)