(133) 信子随筆 「最後の言葉」

                              阪本信子 会員
 論語に言って曰く「人のまさに死なんとするや、その言うこと善し」死に際に遺した言葉はその人の真実の姿であるというのですが、見方を変えるとその人の一生をかけた最後の大嘘といえる場合もあるでしょう。何れにせよ、その人の「人と成り」を判断する材料に使われているのは否めません。
 辞世ではありませんが、義仲の粟津が原で「日頃はなにとも覚えぬ鎧が今日は重うなったるぞや」と今井兼平に語りかけた最後の言葉は、誰が聞いたわけでもなく、作者の義仲への想いであり、それは聴くものを感動させるものです。
 同じように誰も聞いたはずも無い死に際の言葉や歌がどうして伝わっているのか、不思議に思うものが多々あります。
 例えば快川紹喜は織田信忠の軍勢によって恵林寺の山門に追い上げられ、焼き殺された人物です。
 彼がその時に言った「心頭を滅却すれば火も自ら涼し」を傍の誰かに言ったとすれば、その人も焼け死んでいるだろうし、壁に書いたとしても焼け落ちているはずです。
 結局、この言葉についての信頼すべき古文書はみあたらず、雑書にあるこの話に何の疑いも持たず現在に至っています。
 しかし、この言葉によって快川の人となりが十分想像できるのですから、私の遺言には人格高邁な阪本信子のイメージを満杯しておく予定です。(つづく)