(136) 信子随筆 「命あっての物だね」

                              阪本信子 会員
 瀬島龍三氏の死去が伝えられた。
 山崎豊子さんの「不毛地帯」「沈まぬ太陽」の主役は彼をモデルにしたということでも有名ですが、一方ソ連との停戦交渉のとき、日本人捕虜の使役などについて、ソ連に有利な密約を結んだとの疑惑もあり、評価相反する人物でもあります。
 終戦時捕虜となった日本人のうち、昭和24年には無罪とされた30%が引き上げたが、犯罪者と宣告された70%は残された。わからないのは、この残留者は10年以上の刑期を宣告された犯罪者であり、その中で25年以上の刑期の者が32%であったというのですが、一体何の罪なのか多くの受刑者はその罪名すら知らなかったのです。
 いわゆる「ゴハチ」といわれるもので、刑法58条においては「反革命の罪」を規定し、これが適用されたのです。
 ソルジェニーチェンの「収容所列島」を読むと、「ゴハチ」の理不尽さ、権力の恐ろしさは想像もつかないほどです。
 それがスターリン死去の特赦によって突然に帰国を許されました。彼らの最初の帰国は昭和28年11月29日、興安丸の811名ですが、最後の帰国までの間にどれだけ多くの人が死んだことでしょう。
 瀬島さんは11年の抑留の後帰ってこられました。その間の待遇がどのようであったかわかりません。しかし、生きていたことが肝心で身体的、精神的資質のなせる業であったと私は思っています。生きていて良かったと思える長生きを私もしたいものです。(つづく)