神戸にあった古代の難波

その8 名児の浜辺の住吉

『日本人の認識の誤りを指摘する』 神戸にあった古代の難波 梅村伸雄 会員 歴史の謎解きキーワード「名児の浜辺」から、次に探し出せたのが、人々の崇敬を集める住吉の大神の地である。 嘉応2年(1170)の住吉社歌合に於いて、後白河法皇の皇女斎宮亮子(り…

その7 名児の浜の田鶴

『日本人の認識の誤りを指摘する』 神戸にあった古代の難波 梅村伸雄 会員 和歌の大御所藤原俊成は、「雨後月といふことを」と題し、『新千載和歌集』に次の様な歌を詠んでいる。 吹き払ふ あなしの風に 雲晴れて なごの門(と)渡る 有明の月

その6 名児の浜の赤石

『日本人の認識の誤りを指摘する』 神戸にあった古代の難波 梅村伸雄 会員 では、名児の浜の名の由来は何かと言えば、晩年の定家が「名所」と題して、いにしえの悲しい出来事を詠んでいる。 なごの海人の 潜(かず)く白玉 たまさかに 出でて帰らぬ 闇路とも…

その5 名児の浜

『日本人の認識の誤りを指摘する』 神戸にあった古代の難波 梅村伸雄 会員 神戸の歴史は、古代から中世にかけての古記録が残されていないため、殆ど分からない、と言うのが史学界の哀れな言い訳である。ただ、そのような古記録や埋蔵文化財のみが歴史を実証…

その4 赤石の城

『日本人の認識の誤りを指摘する』 神戸にあった古代の難波 梅村伸雄 会員 次の赤石八景は、印南の鹿の鳴声は義経に逆落としの勇気を与えたと言われ、「印南鹿鳴」の歌題を与えられたが、義経が逆落としを決断するに際して、鵯越で出会った翁に「さようの所…

その3 赤石八景

『日本人の認識の誤りを指摘する』 神戸にあった古代の難波 梅村伸雄 会員 寛文2年(1662)、『続本朝通鑑』の編集を江戸幕府より命じられた幕府の儒者林春斎(鵞峯)は、長男春信(梅洞)・次男春常(鳳岡)および門人の人見友竹(人見竹洞)・坂井伯元らと…

その2 赤 石

『日本人の認識の誤りを指摘する』 神戸にあった古代の難波 梅村伸雄 会員 史学の先輩たちは、短絡的にもいにしえの地名を現在の地名に引き移しているようであるが、まさに学問の違変というべきか、昔も今も地名は変わらないと決めつける愚かさか、面倒な作…

その1 はじめ

『日本人の認識の誤りを指摘する』 神戸にあった古代の難波 梅村伸雄 会員 「難波」といえば、誰もが大阪を思い浮かべ、「古代の難波は大阪であり、この定説は間違いない」と考えるのが江戸時代以降の日本人の常識である。そして、この常識にいささかも疑い…