(161) 信子随筆 末法の世は虚言にあらず

                         阪本信子 会員
 「誰か人をでも殺してやりたいほどの暑さだった。季節が狂ってしまっている」。
 1970年に発表された石原慎太郎の長編小説「化石の森」は、こんな言葉で始まっている。
 同氏の「太陽の季節」もそうでしたが、同世代ながらあまりにも激越な表現に、違和感を持ったものでした。
 ところが七十を過ぎた今日この頃、暑かろうと、寒かろうと天気晴朗なれど、年齢、性別、身分、教育、貧乏、金持ちなどに関係なく、「誰でもいいから殺したい」という人が現れ、その言葉を実感できる世の中になったのですから、「さすが石原慎太郎」と言う前に、社会の変容もさりながら、人間の変容の恐ろしさを感じています。
 安心して町も歩けない、電車に乗るときも、レストランで食事している時も何時殺されるかもしれない、警察もアテにならず、自分を守るのは自分だけ、無差別殺人は他人事でなく、明日はわが身かもしれない、長生きしても良いことなさそう、平安時代の人にいわせれば、まさしく末法の世です。
 「末法の世」は平安時代の坊主が考えだした、霊感商法の殺し文句だと思っていたのですが、千年以上の時を経て、それが目の前に実現しようとは、「お釈迦様でも気が付くめえ」です。 (つづく)