(160) やはり野におけ蓮華草
阪本信子 会員
平家が戦うこともせず、あっけなく都を出て行ったことで、義仲は簡単に都に入ることができました。公称五万という大軍を従えての堂々の入京でした。
ここまでが義仲の花道で、それ以後の道は棘の道でした。
彼の率いる軍隊は人数こそ多いのですが、殆どが寄せ集めの連中で、一山充てようという一発屋、はっきり言えば物盗りを目的に付いてきたものたちでした。
京にゆけば宝の山が待っている、そういう期待を持って京に着いたが、丁度飢饉で困窮の最中でもあり、おまけに平家が出て行く時に根こそぎ掻っ攫っていった為、宝の山どころか廃墟に等しく、忽ち食べることにも事欠く有様です。
やりたい放題の暴行、略奪は当然の成り行きで、救いの神であった義仲が疫病神、侵略軍に変じたのはあっという間でした。
3,4日後にはその狼藉停止の訴えが朝廷に出されています。
現実を直視すれば、こんな時に京に入るのは墓穴を掘るようなものだと言う事は誰でも分かります。
それからの義仲のする事なす事、全て都人の気に入らず、空しい努力は死への道程を辿ったにすぎませんでした。
ここまでくると義仲の政治音痴は弁護の余地はありません。
木曽の野生児として、苦言を呈すれば周囲の状況把握への努力に欠け、木曽の山中と同じ感覚で行動している。
勝つということは戦いに勝つことだと信じている。
「やはり野におけ蓮華草」で、人には夫々生きるに相応しい場所があるのです。 (つづく)