(十二)遮光器土偶―②  

 十二.{しゃこうき}遮光器{どぐう}土偶―②               坂田 護
 青森県津軽平野の亀ヶ岡から出土した謎の土偶は、亀を祖神と仰いだ部族・亀族のシンボルであり、部族の守護神の亀面人像として造形されたものだろうと前号で推理した。
 「鶴は千年、亀は万年」というのは、鶴や亀を神秘化した中国の神仙思想から生まれた言葉である。
 実際には、鶴と亀が千年も万年も生きられるはずはないが、亀の場合は一五〇年から二〇〇年ぐらい生存したと言う記録の伝承もあるので、たしかに長寿動物だと言える。
 今日も結納に使われる「島台」の上には松竹梅や鶴・亀が配されて、新婚夫婦の仲良しと長寿を祈願する儀式用具になっている。
 この島台とは、いわば不老不死の神仙の世界である蓬莱山を模式化したものだと言われているから、長寿の亀と蓬莱山とは切っても切れない関係にあることになる。
広辞苑』の注釈では、蓬莱山は「中国の伝説、東海中にあって仙人が住み不老不死の地とされる霊山。(別名を)よもぎがしま、蓬莱島、神島、亀山」とあり、蓬莱山と亀山とはイコールであり、同義だということになる。

 じょ徐ふく福伝説――三神山を求めて
 前三世紀頃に、秦の始皇帝が徐福という人物を、東海に浮かぶ伝説の蓬莱山へと二度も派遣して不老不死の薬を求めさせたという。
 さて、始皇帝が認識した東海とはどの海を意味したのか。中国大陸から見た東の海としては、東シナ海、太平洋、日本海が候補に上がる。
 しかし、それらの海はつながっているので東海に浮かぶ伝説の蓬莱山とはそれら三つの海に囲まれている日本列島を意味した可能性が高い。
 前三世紀頃の中国人が、東海に浮かぶ日本列島と蓬莱山とを結びつけて認識していたのには根拠がある。
 秦の始皇帝が斉の国を訪れた時、斉の国人・徐福が書をたてまつって次のように述べたという。
 「海中に三つの神山、すなわちほうらい蓬莱とほうじょう方丈とえい瀛しゅう州があって、そこに仙人が住み、不死の薬を持っていますので、童男童女と共に行って、それを求めて参りましょう。」
 この言葉が教えるものは、蓬莱山を含む三神山が日本列島そのものであったということではなく、当時の日本列島には、蓬莱と方丈と瀛州の三山を鼎(かなえ)の三脚にして不老不死の神仙の世界をつくろうとした「国家理念――国家構造」が存在したという厳然たる事実があったということである。
 すなわち、前三世紀頃の日本列島にはすでに、三山で鼎立した国家、いわゆる邪馬台国(島台国)が存在していた事実を教えている。
 その三山とは今日の日本の各地に多く存在する三山であり、大和三山、阿波三山、播磨(伊和)三山、因幡三山、尾張三山など少なくとも二〇箇所以上の三山がある。
 三神山を大和三山で見ると…
三神山

 このように見ると、不老不死の理想の神仙の世界をつくろうとした邪馬台国の一つが大和三山であったと考えられると同時に、各地の三山もそれぞれが邪馬台国であったと言えることになる。この点については拙著『鼎の国日本古代国家の実相』(海鳥社)で詳述しているので、ここでは詳しくは述べない。

 遮光器土偶は………
   浦島太郎を招待した亀か?
 前三〜四世紀頃のものと見られている遮光器土偶が亀面人像であると考えると、長寿の亀をあがめた人々の存在が、不老不死(長寿)の世界の蓬莱山(山台国=島台国=邪馬台国)と深い関係があったのではないか、と考えることも重要である。
 日本人の誰もが知っている「亀」のお話に「浦島太郎」がある。
 砂浜で子供たちにいじめられていたウミガメを助けた浦島太郎は、カメの背中に乗って竜宮城を訪れてご馳走になったり、タイやヒラメの踊りを見たりして毎日を楽しく過ごしていた。しかし、地上に戻ったらすでに数百年の月日がたっていた。そして、玉手箱を開けると白煙が出てきて、浦島太郎は一瞬にして、白髪のおじいさんになってしまった。
 この浦島伝説は不老長寿の世界が古代人の関心事だったことを教えており、亀が龍宮へ案内したということは「亀」と「龍蛇」の密なる関係をも教えている。
 (図✽)はインドのバラモン僧の絵をもとにドイツで書かれた絵で、蛇がからまる亀の背中に地上世界が乗っかっている。
 龍蛇を祖神とあがめた人びとと、亀を祖神とあがめた人たちとは、おそらく同族のような関係にあったのだろうと思われる。
 発掘された古墳の壁画にあるげん玄ぶ武は、まさに(図✽)である。
 大学で「浦島太郎伝説」が講義される日がくるかも知れないと考えるのは楽しいことでもある。