(13)情厚き清盛

                                  阪本信子 会員
 保元の乱崇徳天皇方の敗北で終わりました。
勝ち組に属していた源義朝は、敵方についた父為義を始め弟たち8人の首を斬りました。保元の乱は源平それぞれが敵味方に分かれて戦っているので、死刑執行には同族の者があたらねばならなかったのです。殆どの身内をわが手で殺し、孤立していった義朝に比べ、清盛は叔父一族の処刑で、その人数は多いがかえって身内結束を高める結果に終わっています。
 そして、3年後の平治の乱は清盛方の勝利となったが、捕らえた源義朝の息子7人全て命を助けているのは、いかに継母の懇願とはいえ、武士の定めに逆らうもので、冷徹に徹することの出来なかった清盛の情の篤さからです。
 父と共に戦った13歳の頼朝でさえ殺さず、このことは平家にとって悔恨この上ない結果に終わったのは周知のことです。
 ましてや3人の子供を助けるため、清盛に身を任せた常盤御前の美談などありえないことで、身分ある母をもち嫡子である頼朝でさえ殺されないのですから、身分賤しき女の産んだ子供など殺すはずがありません。
 彼女は次のスポンサーを探していただけなのに、ありもしない美談の主に仕立てられたのですから、得な女性です。
 それに引き換え、清盛が彼らを助けたのは美談として書かれても良い筈なのに、その功でさえ常盤に持っていかれて、好色の報いで敵の血筋を残し、平家滅亡の種を蒔いたといわれているのですから、実に損な清盛です。               (つづく)