(一)  

               坂田 護
「金太郎」名考
 ♪まさかりかついで 金太郎
  熊にまたがり お馬の稽古
  ハイシドウドウ ハイドウドウ
  ハイシドウドウ ハイドウドウ

 右は、懐かしい童謡です。
 歌中の「金太郎」は成人になって「坂田公時(金時)」と称します。
 金太郎は相模国の足柄山の山姥と赤竜の子供だと伝えられていますが二十一歳の時、源頼光に見いだされて、源頼光四天王の一人として活躍します。頼光の没後(一〇二一年)は行方不明になったそうです。
 さて、金太郎の歌の歌詞についての幾つかの疑問を提起してみます。
 五月の節句に今も絵や人形として登場する金太郎の童姿は強健と武勇の象徴とされており、日本人であれば、すぐに思い出させる姿です。
 大きなマサカリを肩にかついで、「丸に金」の字が描かれた腹掛けを着けた熊にまたがる勇姿です。
この人の「金太郎」という名前は単に名前だったのでしょうか。それとも・・・・・・。
 足柄山金太郎と見れば、足柄山が「姓」で、金太郎が「名」であるという見方もできます。
事実、古代においては、職業や地名を頭に、名前を下に続けて人名を表記・呼称した例は少なくないからです。
 それでは、この人の腹掛けに描かれた「丸金」のマークは何だったのか。名前の頭文字をデザインしたのだ、という説も成立しそうですが、実は「丸金」印はこの人だけの専売ではなかったのです。
 四国は香川県の金毘羅さんとして有名な金刀比羅宮(神社)には神紋として「丸金」の紋が掲げられています。この神社の祭神は{おおものぬしの}大物主神崇徳天皇の二神ですが、元来の祭神は大物主神だったのでしょう。
 この大物主神大和三山の北東に位置する{みわやま}三輪山の{おおみわじんじゃ}大神神社でも祭神とされており、古代の我が国で大変重要な人物なのです。即ち、この人が生んだ娘のイスケヨリ姫という女性は、初代天皇に即位したとされる神武天皇の正妃となった人です。
 初代天皇妃を生んだ父親が祀られている金刀比羅宮の神紋が「丸金」であり、金太郎の腹掛けのマークでもあるのです。
 「丸金」の紋から、金太郎と大物主神との接点を考えてみましょう。
 大物主神という名を分解してみると、大・物・主の神となります。
 大は「偉大な」を意味するとすれば、「偉大な物の主」という意味になります。では、この「物」とは何を意味したのか・・・・。
 物という字は「牛」が意味を表す意符となり、「勿・ぶつ」が音符となって形成された文字だと分かります。即ち、物という文字に内在する意味は「万物の根源」ということであり、牛は「万物を代表するものとして用いた」と辞書にあります。
 万物の頂点に立つものが「牛」であるとすれば、大・勿・牛・主とは「偉大な万物の頂点に立つ主」という意味になり、「牛」が古代を眺める重要なキーワードになるのです。
 古代では長(おさ)を耳(みみ)と云ったそうです。
 「牛耳る」とは牛の{おさ}長、一党一派の首領になるという意味だそうですが、牛の長=牛耳の意味の重要性がお分かり頂けるでしょう。
 作家で古代史研究家の故・{キム}金{ダル}達{ス}寿氏は「朝鮮に国姓というものがあった」として、高句麗の国姓は「高」であり、百済は「余」、そして新羅の国姓は「金」であった、と教えているのです。
 そう云えば、あの金太郎が生まれた足柄山には{しんらさぶろう}新羅三郎にまつわる伝説が残っている。
新羅三郎は源義光の異称であり、「しんら」と訓じてはいるが、新羅(しらぎ)の国姓が「金」であったとすれば、新羅三郎は「金三郎」だということになる。
 足柄山に絡んで、金太郎と金三郎がいたことになり、「金」とは名前の題文字ではなく、古の朝鮮の国姓と結びついた「記号」であったと考えられそうであり、いわば、金家の長男・太郎と、金家の三男・三郎の伝説だったと云えることになる。
 ・・・・金・鉄・牛・物・・・・
 故・金達寿氏はさらに、金は朝鮮語ではキムというが、訓では「ソ」と読み、加えて「ソ」とは「鉄」の意味とまた「牛」のことをいうと説く。
 「丸金」で結びついた大物主神の「物=勿牛」とは、金のことであり鉄をも意味していた事になる。
 ちなみに、滋賀県大津市園城寺/(三井寺)の鎮守神新羅明神とされ「{ごず}牛頭天王」と呼ばれた{すさのおの}素戔鳴尊の事だと言われている。
 牛の頭の銅像と共に、京都祇園の八坂神社に祀られている素戔鳴尊と大和の大神神社大物主神は、前者が「牛頭天王」であり、後者は「大物(勿牛)主」であって、牛を接点にして結びついているのです。
 新羅三郎(金三郎)が源義光であって、牛頭天王につながると考えれば、源義経の幼名が「牛若丸」だったことも偶然ではないでしょう。
 ここで浮かび上がる「牛」の記号は、我が国の古代像とどのように結びつくのか・・・・興味の尽きない課題ですが、足柄山の金太郎が、牛ならぬ「熊にまたがって、お馬の稽古をした」という伝承は、またまた日本の古代の謎解きにつながります。
 子供が恐ろしい猛獣にまたがって「お馬の稽古」ができたとはとても思えないからです。
 次回の『古代史雑考』はもう一度「金太郎」と「熊」について考えてみることにします。
お楽しみに・・・・・・。