(177)  不運のDNA

                         阪本信子 会員
 義仲によって擁立された摂政師家は当然のことながら、罷免され、替って摂政職に就いたのは前の摂政基通でした。
 彼は清盛の娘婿でしたが、後白河法皇の寵愛深く、摂政に還任して氏の長者となりました。
 しかし、政治の主導権は朝廷でなく、頼朝に移りつつあったのです。
 可哀相なのは師家で、たった60日間の摂政在職に過ぎず、13歳で摂政を解かれて以来、69歳で死ぬまでの56年間無役のままで、同族同年輩の者たちが華やかな政治の表舞台で活躍しているのを横目でみながら、寂しく生涯を終えています。
 れっきとした摂関家の一員として、後の五摂家はひょっとして六摂家になるかもしれない名家でありながら、名門松殿の家系はこれによって絶えたといってよいでしょう。
 平家作者は「見果てぬ夢」と形容し、『栄華物語』に書かれている道長の兄道兼が、折角手にした関白職を流行病のため、たった7日間で失ったのと比べ、師家の場合は関白としての除目、朝廷儀式もあり、道兼よりはマシだと書いているのは貴族のハシクレらしい作者の考え方です。
 ところで、父基房は摂関家の次男に生まれながら、平家に疎まれ、「殿下乗合」にも見られる不運な摂政、関白でしたが、その子師家も時勢に翻弄された悲劇の摂政です。
 運が悪かったと言えばそれまでですが、悲劇をもたらすDNAがあったとすれば、それは言い換えれば何等かの能力不足を指摘するものであり、自らにその責任は帰するところです。 (つづく)