(175) 英雄は死に方も英雄らしく
阪本信子 会員
木曽の風雲児義仲は、やはり京の空気の中では生きられませんでした。無知な無骨者として侮られ、追い詰められてゆきます。その彼を再び英雄としたのは、平家物語の「木曽最期」の名文であり、そこに登場している今井兼平なのです。
この部分は『平家物語』の数ある「死」を書いた中で、最も感動を与える章段といわれ、私が『平家物語』に足を踏み入れたのも、この情緒的な美文に影響されたところが大きいのです。
彼の最期は平家物語を貫く「亡びの美」の源氏バージョンですが、源氏の亡びの美はここだけです。
彼には地獄極楽など論外で、願いは只一つ、「乳兄弟の兼平と共に死にたい」でした。そして、その願い通り二人がパッタリ出合います。(出来すぎかな)
兼平は自分が敵を防いでいる間に、あの松林でご自害をと勧めました。
時は2月20日、義仲は薄氷のはった深田に馬を乗り入れ、鞭をあてても動かず、兼平は如何と振り向いた真っ向、内兜を矢が貫いた。英雄の死に相応しい真っ向の矢です。
でも、あの頃馬の首が見えなくなるほどの深田があったかどうかは疑問です。
結局、義仲ともあろう者が、名も無き下郎に打たれた理由として、作者が設定した死の舞台なのでしょう。
孤軍奮闘の義仲の悲劇はこれをもって終りますが、欠点だらけの義仲が大好きなのは、私自身欠点の多い人間で、共鳴する所が多かったからかもしれません。 (つづく)