(174) 「木曽勢奮戦の碑」が正解

                         阪本信子 会員
 源平合戦の花舞台、「宇治川の先陣」は実は無かったことで、作者の創作だったといえば、ウッソーと言いますか、がっかりしますか、それともやっぱりと思いますか。
 残念なことにこの話はどの古文書にもない、つまり裏付けは何もない作者のフィクションなのです。
 平家物語の中にはネタ元の話よりも、それを基に作者が創造した話の方が有名になっているケースが多々あります。
 宇治川の先陣話もその一つです。
 ネタ元の先陣争いは、これより37年後の承久の変の時で、『承久記』によれば、当事者は佐々木高綱の甥信綱と芝田兼義の二人だったのです。しかし、この場合の先陣判定は難しく、決着はどうなったのかわかりません。
 そして、頼朝が馬を与えたのは、源平合戦の藤戸の戦いの時で、高綱の兄盛綱がその人です。彼はその馬に乗って、藤戸の浅瀬を渡り、手柄をたてています。
 但し、義経勢と義仲勢の戦いが宇治川であったのは史実で、ここで一言いいたいのは、義仲勢は500騎、義経勢は25,000騎といわれ、50倍もの敵と戦った木曾勢の健闘には少しも触れず、麗々しく「佐々木、梶原の先陣争い」というショーとして語られていることに哀れを催すと共に、憤懣やるかたない私なのです。
 今たてられている虚構の『宇治川先陣の碑』より、実際にあった『義仲勢奮戦の碑』を建てて頂きたいものです。(つづく)