(172) 水着は要らない
阪本信子 会員
北京オリンピックも近つき、スピード社の水着が話題となっています。たかが水着と言うなかれ、世界記録、日本記録続出なのですから、無視するわけにはゆきません。
クーベルタン伯爵が近代オリンピックを初めてギリシャの地に開いて以来、より早く、より美しく、より強く、より高くを目指してきました。
その意味で、記録の更新というのは重要なことなのでしょうが、二千五百年以上も昔の古代オリンピックとは大きな違いがあります。
古代ギリシャにおいてオリンピックは四年に一度のゼウス神への奉納競技会であり、祭祀の一種でした。
参加する選手は一糸纏わぬ姿に、オリーブ油をたっぷり全身に塗り、隆々として均整のとれた肉体を誇らし気に見せながら、走り、投げ、組み合った。
勿論選手は男性に限りました。というわけではないのでしょうが、既婚の女性は見ることを許されず、敢えて禁を侵そうとする勇気ある女性は、神の怒りに触れたとして崖から突き落されたそうです。
鍛えられた肉体は完全なる美であり、同じ条件、つまり全裸で技を競うべきであるというのが、その頃の信念、慣習でした。
現代オリンピックでも同じ条件で競うというのが原則ですが、ならば全裸でやられたら如何ですか。
観客動員の苦労がなくなるのだけは確かでしょう。(つづく)