(170) 無敵の法皇のはずなのに?

                         阪本信子 会員
 都の人は乞食でも田舎者に優越感をもち意地が悪い、中でもぬきんでているのが、法皇とその軽薄な側近です。
 義仲に対する「いじめ」は相当あくどいもので、タカをくくっての追い出し作戦は裏目にでて、窮鼠猫を噛み、義仲は終に後白河法皇の挑発にのって院の御所法住寺殿を襲撃します。
 九条兼実はこれについて「義仲が法住寺殿を攻めるのは無理のないことで、義仲は天が遣わした戒めの使者と考えるべきである」と法皇を非難している。
 しかし、当時は天皇とか法皇というものに呪縛されているのが当たり前で、義仲に同情するものがいたとは言え、結果的には朝敵となり、清盛以上の悪行と言われるようになっています。
 相手が武士ならば売られた喧嘩を買うのが当然で、何等差し支えるものではないが、相手が法皇となれば何をされても我慢して従うしかないという不合理に真正面から反抗したのが義仲でした。
 徳富蘇峰は「源頼朝」のなかで、「義仲は熱湯の風呂ヘ入り、下から猛火をもってこれを煎ずる状態で、いよいよ立っても坐ってもいたたまれぬ極地に追い詰められ、この上は致し方なく行動をおこした」と述べている。
 勿論千軍万馬の木曽勢の圧倒的勝利となりますが、実際には事態は何も変わらず、彼の立場は益々悪い方へ向い、破滅への一本道を突進してゆくのです。 (つづく)