(169) 信子随筆 言葉は世につれ

                         阪本信子 会員
 古い人間の私にとって、昨今の言葉の乱れは甚だしく、日本文化の崩壊ではないかと危惧しているのですが、同じ考えを持たれている方も多いことでしょう。
 日本文化を正確に具現していると信じているNHKのアナウンサーの言葉にさえ、眉をしかめることが多々あるのです。
 しかしよく調べてみると、今では「○○です」は普通の言葉ですが、これが一般的になったのは大正からで、それまでは下層階級の「でげす」が縮まって「です」になったものです。
 二葉亭四迷の小説には「です」ではなく、「でございます」が使われ、上流、知識階級では「です」は下品な言葉として、使われていなかったことがわかります。
 また、すし屋などでいう「あがり」はお茶のことですが、これは江戸時代の宿場女郎の言葉であり、同じ遊女でも格式を重んじる吉原、島原の遊女は使いませんでした。
 「ツウ」ぶって言っているつもりかもしれませんが、「あがり」というのは元をただせばこういうことなのです。
 また「本をひもとく」と気軽に言っていますが、万葉時代に「ひもとく」というのは深い男女関係になることを意味しているのであり、現代人が気軽に「ひもとく」と言ったら、あの時代の人が聞いたらどう思うでしょうかね。
 しかし、いくら言葉は生き物だとわかっていても、「KY」(空気の読めない)とか、「うざい」なんていうのがいつか通常語になるのでしょうか。ヤバイ! (つづく)