(168) 信子随筆 時代が求める指導者

                         阪本信子 会員
 かつて日本では総理大臣について、その存在理由を論理的に語ったことはありません。
 昔、刀匠正宗が極意を譲ったのは弟子の義弘でした。
 その選別法は4人の候補者に鍛えさせた刀を流れに立て、上流から藁屑を流すというもので、弟子の村正の刀は触れるや否や真っ二つに切れた。息子の貞宗の刀に藁屑はまといつくが、気合をいれても切れない。
 そして、義弘の刀に藁屑はまといつくが切れない、そこで「エイ」と気合を入れると二つに切れたので後継者にしたという伝説があります。切れる刀を求めるならば、村正です。
 しかし、ここに奇妙な道徳観が付随すると、村正の刀は妖刀となり、村正という人間も危険人物となってしまいます。
 こういう考え方は日本人には理解できるものであり、たとえば信長のような村正的と見られる人間は指導者としてあまり歓迎されませんでした。
 しかし、指導者に道徳的とか人格的であることだけを求めるならば、極端な言い方をすれば、偽善、ごまかしでその能力不足をカバーしてリーダーになるというのも可能で、官僚は扱い易い上司として大歓迎するでしょう。
 しかし時代によって求められる指導者像は異なっています。
 現在、能力があり、冷静にして実行力のある政治家が求められているのは、まさしく戦国時代なのですが、一時はそういう人物を歓迎したとしても、振り子のように元に戻っている、日本という国はそんな国のような気がして仕方がないのです。(つづく)