(167) 「厄病神、取り付く相手を誤る」

                         阪本信子 会員
 女性を評するに「あげまん」というのがあります。男が自分の能力不足を棚に上げて、自分の不遇は妻が「あげまん」でなかったせいだという、実に身勝手な屁理屈に使われる言葉で、いうなれば「あげまん」とは「福の神」と同義語です。
 さしずめ「福の神」の反語は「貧乏神」「厄病神」というところでしょうか。
 スケールは違いますが「平家物語」の中で典型的な「厄病神」の役割を演じているのが義経、義仲の叔父十郎行家です。
 しかし、彼の場合、それは彼の性格によるもので、運が悪いのは自業自得というものです。
 以仁王の企てが失敗したのも、王の令旨の配達を受け持った彼が予定のコースを変え、生まれ育った新宮に寄り道して、自慢したのが原因で、早くに発覚したからです。
 人を見る目があった頼朝に嫌われると義仲を頼り、義仲が「叔父御」と大切に扱うのをよいことに、連戦連敗で足を引っ張る。
 彼が指揮をとると必ず敗れました。
 そして、義仲に逆風が吹き始めると、見切り時だと後白河院に鞍替えして義仲情報は筒抜けになります。
 いかなる場合も自分だけはしぶとく生き残り、そのためには何でもする、恩誼、信義の文字は彼の辞書にはありません。
 義仲と不仲になると義経に取り付きました。彼の誤算は勝ち馬に乗り換えたつもりが負け馬であったということで、これも彼が乗り換えた為に負け馬になったのかもしれません。
 福の神は無理だとしても、せめて人に迷惑をかける厄病神にはなりたくないのが人情というものですが、この頃は何故か厄病神志願者が大勢いるようです。(つづく)