(165) 信子随筆 オリンピックは誰のため

                         阪本信子 会員
 日々物議をかもしている聖火リレーのテレビ画面をみながら、果たして聖火リレーはどうしてもやらねばならない事なのか、また「平和の祭典」という空々しい言葉で飾られているオリンピック自体、本当に必要なのか考えています。
 過去を遡ってみても、開催の度にその政治化、商業化の度合いは増し、五輪の原点である審判の公平度さへも不信の念を持たれています。
 五輪招致をめぐっては莫大な金品が行き交う買収疑惑は当然のことであり、そのツケは国民にまわされ、長野五輪招致委員会の「会計帳簿紛失事件」は衆知のことで、何ひとつ納得できぬままに、こりもせず又もや無駄な五輪招致運動に巨額が投じられてきました。
 僅か十数日のオリンピックのために費やされる建設設備費も気にならず、選手と同じ人数の役員まで送り込んだ結果、期待したほどの金メタルが得られなかったとしても「参加したことに意義がある」と問題にしない程、日本はお金持ちなんですかね。
 テレビ放送権料、スポンサー料は巨額でいうまでも無く、IOCの委員たちは美味しい既得権益を手放さず、はっきりいって委員会はオリンピック大会がもたらす利益を守り、拡大する為に存在しているにすぎません。そんなオリンピックを私は醒めた目で見ているのです。
 「頑張れ、勝て」のプレッシャーに耐え、全力を尽くしている選手には文句なしの声援を送り、金メタルに万歳を叫ぶ人が殆どで、IOCはそういう人達の上にあぐらをかいているのです。(つづく)