(164) 信子随筆 氏より育ち

                         阪本信子 会員
 義仲が都に入った時、都人は熱狂的に救世主の如く迎えましたが、それが厄病神になるのはアットいう間でした。
 「平家物語」では義仲の野卑にして無知なるをあざ笑う記事が沢山載せられていますが、その最たるものは「猫間」の章段で、訪れた猫間中納言光隆に最高のもてなしと供したのは、粗末な器に山盛りにした飯に平茸の汁を添えたものでした。
 彼は「色白う眉目は好い男にてありけれども、起居のふるまいの無骨さ、もの言ひたる詞続のかたくななること限りなし。理かな。二歳より三十に余るまで、信濃国木曾という片山里に住み慣れておはしければ、なじかはよかるべき」男で、現代風にいえば、見た目にはハンサムなマッチョだったらしい。
 いい男といえば、塩野七重さんはアラン・ドロンの食事のシーンが気に入らないと書いていらっしゃいます。
 食事のマナーが間違っているわけではない、なのに印象は不自然で、見ている方は息がつまってしまうそうです。
 彼には豪華な食卓でなく、居酒屋、食い物屋のテーブルの方が相応しく、その時アラン・ドロンアラン・ドロンでいられただろうにとも言っています。
 しかし、私は「猫間」を読んで義仲がより好きになりました。
都の人達が絶対と思っている都風の作法を義仲が知らなかったことだけで、まるで彼の全人格を失格と決め付ける都人の了見の狭さのほうが問題だと思うのです。
 やはり彼が一番輝いて見えるのは木曽の山中で、郷に入って郷に随わなかった義仲の行く末は暗雲に閉ざされていたのです。(つづく)