(163) 信子随筆 親孝行は死語?

                         阪本信子 会員
 戦後、忠孝のうち「忠」は簡単に消滅しました。
 「孝」に関して、教育家、文化人たちは親を大事にするというのは、骨肉の情から自然に発生するもので、教えたり強要するものではないと主張しました。
 強いるものではないと言われ、お蔭様でこれも三十年経つや経たずで亡くなりました。
 しかし、この骨肉の情なるものは自然発生、本能的なものでなかったことは、昨今の子殺し、親殺しの多さを見てもわかります。
 やはり教えなくては分からないものだったのですね。
 親たちは若い頃には「お前らの世話にはならぬ」と言いましたが、年老いてそうはゆかなくなった時、言わなきゃ良かったと思っても、もう手遅れです。
 幸いなことに現代の老人の多くは子供の世話にならなくとも、生活してゆける経済力、生活の知恵をもっています。
 お金があれば全て解決というわけではありませんが、少なくとも一部の不運な方を除いては、「楢山節」的末路にはならないと思います。
 しかし、問題は年金事情不確実の次世代の親たちです。
 見方を変えると、親孝行というのは老後を考慮に入れた人間の知恵の結晶で、中国人が何千年もかけて創り出したモラルだったのです。豊かさがそれを忘れさせてしまったのかもしれません。「子は宝」だったはず(?)だったのにね。 (つづく)