(127) 信子随筆 「損するのはいつも庶民」

                              阪本信子 会員
 グリーンピアなど社保庁のやった放漫運営のツケは、建設原価の僅か何十分の一の回収にとどまり、国民の血税が無駄使いされたことへの怒りは今や国中に満ちています。
 しかし、責任を取らない政府官僚体制は今に始まったことではありません。
 明治13年、明治政府は大蔵卿大隈重信が立案した「工場払下概則」を公布し、採算の採れない官営工場の整理に取り掛かったが、条件が厳しく、あまり応募者はいませんでした。
 それから4年後、「概則」を廃止し、松方緊縮財政の下、優良工場や鉱山も払い下げの対象に入れ、払い下げは再開された。
 価額を下げ、支払いも長期年賦、据え置き策がとられています。例えば、院内鉱山は投下資本703,000円に対し、109,000円で払い下げられ、しかも、即金払いはたった2,500円で残りは10カ年賦や無利息29カ年賦という好条件でした。
 佐渡金山、富岡製糸工場、長崎造船所など何れも原価割れの価額でした。
 特に、釜石鉄山は一度閉鎖されたものだったので、投下資本283万円に対し、僅か220分の1の13,000円足らずでした。
 何れもやり方によっては十分採算の取れるものであり、官民癒着による払い下げであったという、より悪質なものだったことは現在の状況と違っていますが、何れにしても損をしたのは庶民だったのです。 (つづく)