(121) 信子随筆 「謙信は鎧兜の晴れ姿」

                              阪本信子 会員
 戦国時代を舞台とするドラマは視聴率が稼げる為、度々NHK大河ドラマに採用されています。
 現在放映中の「風林火山」の主役山本勘助については実在説、架空説いろいろありますが、彼の実在説の根拠とされている古文書「甲陽軍鑑」には武田サイドの創作話と思われるものが沢山あります。
 「甲陽軍鑑」にある勘助が活躍したという合戦の記載が史実と一致していないことも勘助の存在を疑わせるものです。
 また、余りにも知られすぎている「川中島」の合戦は4度にわたって行われているが、信玄の本陣に攻め込んだ上杉謙信との一騎打ちの話は4度目のもので、謙信自らが太刀を抜いて戦ったという史実に尾ひれ、背びれがついて大将同士の一騎打ちという華々しい話になり「甲陽軍鑑」に書かれたのです。
 問題はその時の謙信の姿です。
 「甲陽軍鑑」によれば、「萌黄の胴肩衣を着け、頭を白い布で包んだ」とあり、出家した姿というのが常識となっていますが、勘助が討死したという4度目の川中島の合戦は永禄4年(1561)、謙信が出家したのは天正2年(1574)ですから、その合戦の時はまだ出家していない。従って「総大将として謙信は鎧兜に身をかためていたはず」では?と思うのですが。 (つづく)