(116) 老武者の黒髪かなし

                              阪本信子 会員
 篠原の合戦における斎藤別当実盛の最期の章段は読ませ、聞かせるに十分な趣向がこらされています。
その装束を見ると、どうみても大将にしかみえないが、家来も連れていない、名を尋ねても答えず、手塚太郎が討ち取りその首を義仲の実検に供しました。
 実盛らしいが年齢からすれば白髪の筈です。
 洗って見ると白髪となり、やはり実盛でした。
 生前に聞いた実盛の言葉によれば、「白髪の老武者が若武者と功を争うのは大人気無くみっともない、また老人と侮られ手加減されるのは口惜しい」という理由からです。
 こんな感動的な話を庶民が見逃すはずがありません。『平家物語』に基づいた実盛関係の史蹟がこの辺には沢山あります。
 実盛の首洗いの池は2ケ所あり、どちらが本物かを問うのは今となっては無意味です。
 何れにせよ、その傍に立った時、実盛の最後の戦いに臨んだ悲壮な心が伝わればそれで良いのです。
 多太八幡宮で実盛がかぶっていたと称される兜をみて、芭蕉が詠んだ「無残やな甲の下のきりぎりす」の「無残やな」、そしてその弟子蕪村の「名乗れ名乗れ雨篠原のほととぎす」の「名乗れ、名乗れ」はいずれも『平家物語』の文章の一部を引用したものです。
 時代は飛びますが与謝野晶子が実盛塚を詠んで「北海が盛りたる塚にあらずして 木曽の冠者が築きつる塚」など、どれだけ多くの人が実盛の死に感銘を受けたか。
平家物語』はやっぱり凄い!        (つづく)