(115) 故郷に錦を飾る

                              阪本信子 会員
 『平家物語』から派生した伝説、遺跡の類は数え切れないほどありますが、篠原の合戦における斎藤別当実盛の最期の章段は人口に膾炙され、平家物語の中でも知名度の高い逸話です。
 彼は「故郷に錦を着て帰りたい」と宗盛に乞うて、「赤地錦の直垂に萌黄威しの鎧着て、鍬形打ったる兜の緒をしめ、金作りの太刀をはき、連銭葦毛の馬に金覆輪の鞍置いて乗ったりける」とどうみても身分の高い大将の姿で戦いに臨み、また老人と侮られないため髪も黒く染めていました。
 冷静に考証してみるとこれも眉唾ものなのですが、作者は老武者実盛の死を美学として書きたかったというより、中国の故事「故郷に錦を着て帰る」を使いたかったのではないか、私はそう思うのです。
 この言葉は本家本元の中国では余り良い意味に使われていませんが、強力に血縁関係に依存している日本人にはその気持がよくわかるものです。
 明治、大正、昭和に外国に移住した日本人の望みは殆ど「故郷に錦を飾る」ことだったでしょう。
 現在、故郷に道路を作り、巨大な建物を立て、自分の銅像まで立てさせる政治家がいます。これも「故郷に錦を飾る」つもりでその気持は分かりますが、税金を使わず自費でやって欲しいものです。
 諸事情からして実盛は平家の家礼方家人で、平家に最後まで忠誠を尽くさねばならない立場ではありません。
 そんな彼がこの戦いで討死したことは事実で、美談として「故郷に錦を飾る」の話にしたのでしょう。 (つづく)