(114) 勝利者は本当に勝ったのか

                              阪本信子 会員
 倶利伽羅峠における義仲の快勝はここで改めていうまでもなく、衆知のことです。
 地獄谷に平家の大軍を追い落とした話は多分に誇張されており、平家の軍兵の信じられないほどの減少は逃亡によるものと思われます。
 また、倶利伽羅の戦いといえば、牛の角に松明をつけて放ったという火牛の計は有名ですが、これは中国春秋戦国時代、斉の田単の逸話を借りたもので、完全なるフィクションで、『源平盛衰記』にのみ書かれているのですが、義仲の軍略の巧みさを表すにはもってこいの逸話です。
 倶利伽羅の戦いは義仲の名を世に知らしめましたが、この勝利は果たして彼に幸運をもたらしたのかと問われた時、私はそうだと断言できないのです。
 本当は取り返しの付かない道に踏み込んでしまったのではないか。本当に勝ったのだろうか。
 これは何時の時代の戦争にも言えることですが、万一義仲がこの戦いに負けていたら、もう少し違った生き方、死に方をしていたかも知れません。
 戦いに勝つ毎に自ら迷路に入りこんでゆく義仲、それに何の疑いも持たず無邪気に勝利を喜ぶ彼の姿に哀れをもよおすのは、半年余り後の末路を知る我々だから言えるのですが、歴史から人々は多くのことを学ぶものです。
 何れにせよ時代の風に乗った義仲の怒涛の如き進撃に、北陸の平家勢は蹴散らされ、入洛も目前となります。
京という蜘蛛の糸にがんじがらめにされ、自ら墓穴を掘るのも間近ということです。 (つづく)