(113) 小よく大を制す

                              阪本信子 会員
 頼朝との和平が成立し、後顧の憂いなしと勇躍平家との戦いに向う義仲ですが、義仲といえば倶利伽羅の戦いは有名で、この完璧な勝利は本人もこんなに巧く行くとは思ってもいなかったでしょう。
 平家物語でいう平家10万余騎という軍兵の数は割り引いて考えるべきで、北陸へ向う平家勢は「玉葉」によれば4万騎と書かれています。それにしても平家にはまだそれだけの集兵力が残っていたのかと驚きますが、数より内容が問題で、宗盛の総管職の権限をもっての動員ですが、平家への忠誠心を持つものは僅かだっただろうと思います。
 何れにしても、義仲勢を上回る軍兵を有していたのは確かで、京を出る時誰が無残な敗戦を想像できたでしょうか。
 義仲は少勢が大軍に勝つには奇襲以外にはない、それには大軍に有利な平野での戦いを避けるため、平家軍を砺波山に釘付けにする必要がありました。つまり越中側の降り口日宮に白旗を沢山立て、源氏の大軍が布陣しているようにみせかけました。
案の定、目論み通り平家は狭い山道の大軍移動を危惧し、猿が馬場に留まります。
 こうなればしめたもので、義仲は昼間は小競り合いを繰り返し正面に注意をひきつけ、その間に兵を背後に迂回させ、包囲網を完成してしまった。
 平家はそうとも知らず律儀に付き合って夜になり、眠りに就きました。
 地獄谷が口を開けて待っているとも知らず。  (つづく)