(109) 赤旗、白旗は単なる識別標識

                              阪本信子 会員
 横田河原合戦の地は戦の場になる事しばしばで、頼山陽の「鞭声粛々夜河を渡る 暁に見る千兵の大河を擁するを・・・」は、深夜謙信の千曲川渡河を詠んだものです。
 両岸に義仲勢、城助職勢が相対します。義仲は井上光盛勢に赤旗をかかげさせ、味方のふりをして城氏本陣に向わせました。そして近づくと一斉に白旗に変え攻め込ませました。
 これによって義仲は少勢をもって北陸の雄、城氏に圧勝します。倶利伽羅の戦いでも義仲は白旗を山麓に何十本も立てさせ、あたかも大軍の義仲勢が布陣しているように見せかけています。
 「平家物語」には袖の赤印をひきちぎり、戦線離脱する平家の武士が描かれています。
 現代においても紅と白は運動会、歌合戦などなど、対抗競技に敵味方のシンボルとして使われていますが、平家は赤、源氏は白の組み合わせは黒白と同じくらい区別し易い色で、源平合戦では本氏が何であろうとも源氏方なら白旗、平家に味方するものは赤旗を掲げ敵味方を識別しました。
 つまり、紅白は単に戦場における識別のために用いられたのであり、実質的に源平の勢力を分け合う戦いとなった平治の乱の時から使用されています。
 しかし、その単なる目印の色の意味づけをしたくなるのが人情で、諸説が語られています。(つづく)