(108) 伝説は現代人の心の栄養
阪本信子 会員
「経が島」「慈心房」「祇園女御」は「入道死去」から延長された付随説話ですが、何れも彼の悪行を誇張した前半の内容を宥和するもので、只者でない英雄清盛をアピールしています。
清盛は宋貿易のため音戸瀬戸の掘削、大輪田泊の修築などで瀬戸内航路を整備しました。
大輪田泊においては西風、西南風は和田岬で防ぐ事ができたのですが、東南の風に難渋していたため、それを防ぐために作ったのが「経が島」とよばれた防波堤です。
平安版ポートアイランドともいえる経が島は石椋工法、船瀬工法といわれるやり方ですが、清盛は人柱の代わりに一切経を書いた石を沈めたと伝えています。
当時の信仰心の篤さを思うと、仏の力のPRともなり一挙両得で、さすが迷信に強い清盛です。
しかし、神戸市来迎寺には30人に代わって人柱となった松王の碑があります。これは「源平盛衰記」によるものですが、人柱は本当だったのかどうかといいたいところです。
私は人柱伝説が生まれる程の難工事であったと考えたい。
また音戸の瀬戸公園には清盛が扇で夕日を招き返している像が立っていますが、これも各地に伝わる伝説と同工異曲で、日夜陽が沈むまで、時を惜しんで突貫工事が行われたということでしょう。
だからといって伝承軽視というわけでなく、科学万能の乾いた現代において、唯一残された人間的な潤いとして貴重な存在と思っています。 (つづく)