(106) 清盛はやっぱり偉かった

                              阪本信子 会員
 清盛悪人説は長い間、庶民の間で定着していましたが、一体彼はどんな悪いことをしたのでしょうか。
 権勢をほしいままにしたと言われますが、藤原氏の真綿で首を絞めるような陰湿さと比べればカワイイもので、清盛への非難は既得権を失った貴族たちの不満であり、抵抗勢力はいつの世でも存在しますし、どんな善政であっても総ての人が満足するものではありません。
 成金的、俄分限のくせにといわれるのは、栄達までの期間があまりにも短かったためでしょう。
 その急速な栄達を武力行使なく可能としたのは、院政というアブノーマルな政治体制のもと治天の君法皇との絶好な関係があったからで、その連繋がほころび始めた頃からの清盛の業績が悪とされ、それ以前の行為は不問に付されています。
 これはまさしく日本的皇室信仰を象徴するものです。
 しかし、清盛の死後の文章はこれまでの清盛に対する憎悪、悪意に満ちた記述とうって変って好意的な書き方で、戸惑いさえ感じますが、これより以後の気の毒な平家の凋落状態の記述も矛先は鈍く、同情的になっています。
 日本特有の死者を許す文化、弱者に対する暖かい眼差しが感じられます。
 その究極が清盛は白河院の御落胤であったという話で、清盛の急激な昇進を説得させる最良のモチーフだったかもしれませんが、そうならばせめて彼が生きていたときに言ってほしかったものです。(つづく)