(59)「奇貨おくべし」

                                     阪本信子 会員
 『吾妻鑑』は以仁王の挙兵に始まる鎌倉幕府の歴史を綴ったものです。従って鎌倉幕府大本営発表的な性格もあり、100%真実を伝えるものではないが、平家物語に欠落した源氏サイドからの視点が読み取れます。
 北条時政は当時、大豪族どころか中の下辺りの在地中小豪族で、在庁官人として地道に勤め、天下を望むなどという大望も持たなかったでしょう。そんな彼に幸運をもたらしたのは流人頼朝と娘の政子の恋でした。
 いや正確にいえば、これは全くの天運、幸運とは言えません。 
 伊豆最大の豪族、伊藤祐親は娘と頼朝の関係を認めず、間に生まれた子供千鶴も殺し、頼朝との関わり合いを恐れたが、これはその当時の事情からみれば、当然のことでした。
 しかし、北条時政は娘政子との結婚を認め、自邸に引き取り、篤くもてなしました。
ただ頼朝の貴種を有難がっただけかも知れませんが、これは当時としては相当の勇気を必要とするものでした。よく言えば時勢を見る目、人を見る目があったからだと言えます。
頼朝を「奇貨おくべし」と青田買いしたのは、先見の明があったと言わざるを得ません。
 彼の晩年はみるも無残で、曾ての勇姿は見るべくもありませんが、確かにあの時は鋭い見識をもっていたのでしょう。
 微々たる勢力の北条氏が120年にわたって鎌倉幕府に君臨したきっかけが、政子の恋であったとは、まさしく小説より奇なりです。(つづく)