(57)平家の血脈は文覚が少し伸ばした

                                     阪本信子 会員
 『平家物語』で頼朝は挙兵するなら院宣が必要だと粘りました。文覚はたった8日間で京都と伊豆を往復して、頼朝に後白河法皇の平家討伐の院宣をもたらしたという超人的なお話になっていますが、私は「少々やりすぎじゃないの」と興ざめしています。
 しかし、頼朝が挙兵したのは史実で、それには文覚上人がいくばくか関与していた可能性はあります。
 後に頼朝が神護寺修復に多大な荘園の寄進なども行っており、何らかの恩誼を文覚に感じていたのは確かです。
 源氏は平家滅亡の後、平家に連なる者を根こそぎ探し出して殺しました。12歳の維盛の子六代御前も捉えられ、いまや斬られようとしたところを助けたのが文覚で、作者は六代が今や斬られようとするところへ、御教書をもった使者が白馬の騎士のように現れて命を助けるという「ええ格好」をさせています。 文覚は六代の助命を頼朝に乞い、頼朝はこれを聞き入れたのです。
 吾妻鑑によれば、頼朝は六代御前の祖父重盛が自分の助命に口添えしてくれたという恩誼に報いる為、六代を助けたとしているが、とにかく平家の唯一人の生き残りでした。
 六代は出家して寺に入りましたが、頼朝亡き後、文覚の失脚と同時に斬られ、「それよりしてこそ、平家の子孫は、永くたえにけれ」と平家物語は結んでいます。
 見方によれば、文覚によって平家の命運は永らえ、また亡んだと言えるかもしれません。(つづく)