(54)窮鼠、頼朝の挙兵

                                     阪本信子 会員

 清盛が福原都造営に専念している最中に起ったのが頼朝、義仲の挙兵でした。
 以仁王の変は呆気なく終わりましたが、平家は以仁王の令旨の配られた先のチェックを始めました。
 伊豆に流されていた頼朝のところへ京都の情報源としている乳母の子三善康信から「以仁王の令旨を受け取った源氏に追討の沙汰があった。貴方は源氏の正統ですから、特に危ないでしょう。奥州方面に逃げられた方が良い」と知らせてきた。
 しかし、頼朝は逃げず挙兵を決心しました。
 一か八かの行動ですが、どこへ逃げても平家の手は及ぶだろうと考えれば、妥当な結論です。
 既に死んでいる以仁王の令旨を旗印にして,ある時など以仁王が我が陣にいらっしゃるかの言動で、東国豪族武士への指揮権を合法化しました。
 最初に槍玉に挙げるターゲットを目代山木兼隆にしたのは大当たりでした。
 可哀想なのは山木兼隆で、3ケ月前に赴任して来たばかり、しかも北条政子にふられるというお話まででっち上げられているのですから、踏んだり蹴ったりで殺されるために伊豆へきたようなもので、運の悪い男です。
 次の石橋山の合戦は頼朝の負け戦で、逆賊の子頼朝という認識しかもっていない京都の貴族たちは一安心でしたが、次には予想もしないドンデン返しを見ることになります。(つづく)