(22)聖人君子の重盛

                                     阪本信子 会員
 頼山陽の『日本外史』にある「忠ならんと欲すれば則ち孝ならず。孝ならんと欲すれば則ち孝ならず。重盛の進退ここに窮れり。 生きてこの惑を見んよりは死するに如かず」 はかつての忠君愛国の大日本帝国の臣民にとっては、涙を流して喜ぶ有名な名セリフです。
 平家物語における重盛は常に父に対し、懇願でなく教訓を垂れ諌めるという、実に面白味の無い人間に描かれています。
 父子の性格が相反しているケースはよくあることですが、子が親の足をひっぱり、否定するまでの対立はあり得ません。
 平家がここまで繁栄したのは清盛一人の才覚、苦労だけでなく、一族一門あげての協力的な統一行動があったからで、運命共同体意識がある限り、重盛と清盛のような対立は不可能です。
 まして、重盛は清盛の息子の中で唯一人の保元の乱平治の乱を共に戦い、死線を越えた戦友でもあったのです。
 彼が父以上に猛々しく、したたかな策士であった事は殿下乗合事件の時のやり方を見てもわかります。
 平家作者は全く違った人間像にしていますが、これは彼の死後平家が確実に凋落の気配を見せてきたからです。つまり、結果論的に言えば平家の繁栄は重盛の善行に支えられていると考えられ、それ故に重盛は非の打ち所のない人間にしなくてはならなかったのです。             (つづく)