(20)平家の娘たち(三)(徳子その2)

                                  阪本信子 会員
 関連資料の極めて少ない徳子について、後世の人たちは様々な人物像に造りあげました。
 平家物語の「大原御幸」においては、別人かと思われる程饒舌にしゃべり、堂々とした論理で大独演会を展開しています。
 そんなにしゃべれるならば、平家繁栄のときにもう少し何とかならなかったのかと思うのですが、「大原御幸」は作者の言葉の羅列であり、ここに書かれている徳子は実像ではありません。
 しかし、彼女に関してはこの記述が重要な資料とされ、類推拡大解釈がされています。
 源平盛衰記では仏道懺悔の六道のうち畜生道について、彼女は兄宗盛との関係を法皇に打ち明け、捉えられた後には義経との情事もあったと告白し、法皇が大原に彼女を訪ねたのも昔の誼(?)を忘れられなかったからだと語っています。
 江戸時代の春本のネタはここから出ているのですが、事実かどうかは別にして、彼女のつかみ所の無い浮き草のような性格、頼りなさから「有りうる話」として容認されていたからだと思います。
 それだけに彼女の叔母に当たる建春門院滋子の素晴らしさが引き立ち、建礼門院に仕えた右京大夫でさえ、主の徳子より滋子を美しさ、気質、配慮、衣裳のセンスまで絶賛しているところから考えれば、徳子には没個性的で女としても魅力に欠けるところがあったのでしょう。
 (つづく)