(19)平家の娘たち(二)(徳子その1)

                                  阪本信子 会員
 清盛の娘の中で一番知名度の高いのは建礼門院徳子でしょう。
 母は時子で高倉天皇中宮となり平家の前途の幸運を約束したかに見える安徳天皇を生んだ女性で、平家が存続していれば殊勲甲の栄誉が与えられる筈でした。
 私の女の眼からの厳しい考証を許されるならば、育ちの良い娘にありがちな感情の起伏の少ない、親の布いたレールを何も考えないで黙々と歩いている、そんな女性だと思うのです。
 夫の高倉天皇は女性関係だけは陣伍に落ちず、21歳で死ぬまでに、系図に残されているだけでも7人の皇子女を残し、その他「天皇の死後、妊娠中の女房多し」との女房の手記も残っている。
 平家物語では「小督」「葵前」の章段で清盛の横暴によって引き裂かれた天皇の純愛物語を書いています。
 しかし、清盛は入内した娘になかなか皇子がうまれないのを気にはしていたでしょうが、天皇自身の色好みまで清盛の悪行のネタに使うのは平家作者の手法です。
 彼女は夫の女関係にいちいち神経を尖らせる性格ではなかったようですが、さりとて同性として全く無神経であったとは思いたくはありません。
 その名が知られている割に彼女についての資料、情報は少なく、それによって彼女の虚像が後世いろいろと作られました。
 彼女の立場ならば何らかの平家に利する行動ができたのではないか、また歌か文書の類の一つでも残せなかったのか。
 賢女、貞女、悪女、愚女、痴女どんな評価もできる程度のきわめて少ない資料しか残していない不思議な女性です。
    (つづく)