(2005/03/06)徳川道とその背景
徳川道とその背景 講師 青山与治郎・東爪佐七 会員
ペリー来航は、泰平の夢をむさぼっていた日本人にとり驚天動地の大事件であった。以来、米英露蘭と次々に和親条約を締結させられ、次いで修好通商条約が締結されて安政の開港となった。
慶応元年には兵庫開港問題が起こり、慶応三年、ついに兵庫開港の勅許が降りたのである。
そこで幕府は、生麦事件の二の舞を避けるために、急遽西国往還付替道、後に徳川道と呼ばれる道を作り上げた。
この道の建設から廃道になるまでの、歴史を語りつつ、当時の歴史の舞台裏で活躍した英国の外交官、日本人以上に流暢な日本語をこなし、生麦事件から始まって、薩英戦争、下関事件、神戸事件、堺事件などの処理に当たったアーネスト・サトウ(ドイツ系スエーデン人)を紹介し、日本の外交を調整した、彼の思想と行動を語ってみたい。
日時 平成17年3月6日(日)13:30より15:00頃まで
場所 兵庫県民会館 1202号室
JR・阪神「元町駅」の山側、徒歩7分。地下鉄「県庁前駅」1-2出口
http://hyogo-arts.or.jp/arts/kenminmap.htm
参加費 500円(申込み不要・自由参加)
主催 兵庫歴史研究会 http://www.geocities.jp/hyogorekiken/
問合せ先 ℡ 078-592-1621 梅村伸雄