(二)

― ひみこ(卑弥呼)が大和にいないわけ ―              小合彬生 会員
http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050211 からの続き
7、疑いを拡大する ー 偽書だ !! −
 最後の手段は、倭人伝そのものの信憑性を疑わせることです。
 中国人は伊都までは来たが、大和にいる女王には会わず、いい加減なレポートを作った。倭人伝は伝聞であり、信用してはいけない。
 あえて云えば、倭人伝は偽書である!と極論も出てまいります。
 郡使たち中国人の忠誠心も、共に疑われます。誤写疑惑も同じで、中国人は国の正史の筆写に際し校正を怠った・・・証拠はないけど、こう云われます。
 よく考えてください。「誤写がある」、「偽書である」など、倭人伝の記述内容を否定するか、疑わなければ、「大和説」そのものが成立しないのではないでしょうか。 
8、そのほか、大和説は問題点が多い
 紹介されている「その他21のクニグニ」の大きさがよく分かりません。邪馬台国全体の戸数計算ができないなど、その外にもかなり苦しい説明があります。
 そして、執拗に21回も順番に並ぶと記されているクニグニを、順に並べることが、非常に難しいことも知られています。
 大和説の大きな悩みは、国の南に接する狗奴(クナ、熊本とおぼしいライバルの国)が、なかなか比定できない点にもあります。
9、大和説はもう諦めなさい
 邪馬台国論争の分かれ目は、三世紀の倭人伝を信用するか、しないかにありました。信用しない人たちが、原典をいろいろ改変しながら、ひみこ女王の国を探しまわりました。
 しかし、そんなに大騒ぎすることはなかったのです。書かれたままに倭人伝を読めば、邪馬台国は見つかっていました。なにが何でも女王を奈良へもって行く「魂胆」さえ捨てればよかったのです。
10、伊都に王がいる、倭都なのです
 帯方郡から倭国に出向いた使節は、「伊都に到り、そこに駐まり」ます。この「到る」の字は他の国の「至る」とは違い、伊都が目的地であることを示しています。「伊都に王がいる」のです。
 たとえ千余戸の小国でも、伊都には王や、帯方郡使節、監察官である「一大率」もいるではありませんか。ここが、邪馬台国の首都なのです。王のしるし「璧」も出土しています。

11、女王は、九州・不弥の宮にいた
 
 超大国・奴の国の首都「山門」に寄り添う二つの国、というより二つの宮殿の「意味」をよく考えてください。
 郡使は「伊都」を目的地として到着しました。彼らは、伊都の宿舎から日帰りで、女王のいた「不弥」に往復したと推察されます。
 福岡市西区愛宕の丘の上、「うみの宮」に彼女はいたのです。都というよりは、ちょっとした神宮のようで、千余家(家とは、戸主がいない時に用いる計算単位のはずで、戸よりは小さく、棟数に近いと思っています。)程度の小さいクニで、衛兵と奴婢が主な住人だったと推察されます。伊勢の斎宮といった感じでしょうか。
 これで、不弥のクニの「レゾンデートル」が、初めてはっきりいたしました。道案内の最後に置かれていたのも、そのためだったのです。
12、邪馬台国、統治の歴史
 邪馬台国の歴史も倭人伝に書かれていますが、それによれば、伊都と不弥の歴史的関係がかなり詳しく分かります。
 邪馬台国は2世紀の始めに成立して、7-80年間、男の王が統治したそうです。この男王は、伊都に宮を置いていたと私は思います。
 2世紀の末、国に内乱が続きましたが、女王を立ててこれを収めました。この時女王は、その居を不弥の宮に置いたのです。
 伊都にいる倭人の王は、新設された、小さい不弥の「女王国」を統属したのもうなずけます。伊都にいる王は、代々、不弥の官を統属したということですから、連合諸国からの代表が、交代で王位を継承していたのかも知れません。
 そして、原文の記述から、2回目の郡使「張政」が訪れた時の倭王が、女王の「男弟」だった可能性も推理できそうです。
 女王連合国の機能は、奴の都心「やまと」の内で「伊都と不弥」に配分されていたのです。いままで邪馬台国が見つからなかったのは、これら2つのクニで首都機能を分け合っていたことをまったく想定しなかったからだと思います。
 
 魏志倭人伝は、正しく伝わっていたのです。郡使たちは、不弥から南へ船で旅立つ必要は、もうありません。多くの研究者を悩まし続けてきた「南へ水行する」問題も解決しました。

 伊都に落ち着いた郡使たちは、倭人国の情報を集めました。
 しかし、万里をわたりせっかく会いにきた、有名な「女王」に会ったとの報告がありません。残念なことです。老齢でめったに顔を見せないと書いています。2回目の使節達は、新女王「とよ」に会ったと思いますが、まだ13歳と若すぎたせいか、記述すべき印象は、なかったようです。
 このように、九州でのOB会報は論を展開します。いかがです。
                  (平成17年2月)