(2005/05/01)「中央突破説を語る」


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 現在神戸においては、義経の逆落しの場所について大別し、一の谷説と鵯越説の両論が戦われているが、兼好法師の随筆『徒然草』には、平家物語の作者信濃前司行長が「九郎判官の事は、詳しく知りて書き残せり」と記しているため、平家物語自体には義経の攻撃目標や逆落しの場所が間違いなく記載されていた。
 どうして両論に分かれたのかと言えば、八百年昔の地名と現在の地名とは異なる筈なのに、現在の地名で八百年前の合戦を知ろうとしたところに間違いが生れたのである。
 このたびは、昔の地名と隠れた文献を探り当てた結果、誰も知らなかった義経の見事な戦略について、残された文献を忠実に解読しながら、京都から鵯越に至るまでのルートと、それぞれの土地に残された伝承を語り、さらには、僅か70騎の奇襲攻撃で平家の大軍を打ち破った、義経の発想の素晴らしさに焦点を当てながら、豪胆かつ緻密な戦略のもとに展開された一の谷合戦を、スライドを使いながら語ってみたい。