(111) 最強のライバルは同族

                              阪本信子 会員
 源氏の白旗は一切染色していないという簡便なものですが、後に余人の使用を許さぬ権威を持ったのは、平家が亡び、世が源氏一色になった時で、武士の棟梁源氏嫡流のシンボルとされたからです。
 頼朝は白一色の旗印を源氏嫡流のみに許されるものとし、平泉征伐の時、佐竹隆義が無地の白旗をかかげているのを咎め、月を描いた扇を与え、棹の先に着けさせています。
 以後、武将たちは白地に各々独自の文様を描いた旗印を使用するようになります。
 頼朝は源氏嫡流意識の強い人間で、富士川大勝の後、一番に着手したのは佐竹征伐でした。
 佐竹家は清和源氏源義家の弟頼光流で、常陸は殆ど佐竹隆義、秀義の支配下にあり、源氏嫡流として勢威を誇っていた。
 つまり、血統の正統性という点では必ずしも頼朝がダントツ優位で、絶対的であるとは言えず、頼朝は自分が源氏嫡流であると示す必要があったのです。
 頼朝にとって源氏嫡流と見做されるものは総てライバルであり、佐竹討伐の後に目ざわりなのは、今や北陸にその名を高めている木曽義仲でした。
 義仲攻撃の口実としては諸本によれば、頼朝と不仲になり、追い出された叔父行家を義仲がかくまったとか、武田信光の讒言によるなどあげられているが、頼朝に最大の危機感を与えたのは頼朝討伐計画を具体的に進めていた叔父義広もまた義仲のもとで庇護されていたことだと思います。
 この行家、義広という叔父二人を受け入れたのは義仲の優しさでしょうが、それは彼の行く末に暗雲をもたらす疫病神となります。(つづく)