(24)鹿の谷事件

                                     阪本信子 会員
 権力を握る者はその権力が強くなればそれに比例して、必ず抵抗勢力が発生するものです。
 栄えるということは、同時に亡びの因子を育てていると認識すべきで、大磐石のごとき平家も板子一枚の下には抵抗勢力の不満が渦巻いていたのです。鹿の谷事件はその表れです。
 しかし、計画、陰謀というにはあまりにも杜撰で、不満分子が集まって平家の悪口をいい、愚痴を肴に酒を飲んで「昔を今にかえすよしもがな」とうっぷんばらしをするのがせいぜいであったろうと思うのです。そしてこういう企ての必須条件である秘密厳守さえ徹底せず、源行綱の密告、内部告発によってあえなく露見し、法皇の側近の殆どが粛清されるという結果に終わっています。
 こんなお粗末な事件について5章段が費やされていて、俊寛が悲劇のヒーローになったのもこの時です。
 「平家物語」では藤原成親という一人の貴族が大将の官職を望みながら、平家の重盛、宗盛に奪われたことを恨んで、平家討伐を企てたというのです。
 作者は動機を一人の男の出世欲、私利私欲にもっていったことで、失敗の必然性を示唆していますが、行綱の密告がなくても時期尚早で、この段階では所詮失敗に終わっていたでしょう。
(つづく)