(21)平家の娘たち(四)(徳子その3)

                                  阪本信子 会員
 建礼門院徳子は平家物語によると37歳で寂光院において大往生したことになっています。
 寂光院は現在京都観光名所のうち女性たちに人気のあるスポットになっていますが、訪れる人達はここで彼女は死んだと信じ、一族の全てを失った後の彼女の苦しい毎日を思い、哀悼の心を催されることでしょう。
 しかし、実際には平家滅亡と共に彼女の存在意義は喪失し、生ける屍のようであったにせよ、かつては中宮であった彼女が何時何処でどのように生きて死んだのか、どこに葬られたかという基本事項すら曖昧模糊としてわからないのです。
 現在女院の陵とされている寂光院背後の山の中腹にある石塔は、明治9年に伝説にもとずいて定められたものです。
 平家物語の諸本、貴族の日記などから類推解釈するに、結論をいえば女院は住居を転々とされ、崩御寂光院でなかったことは確かで、死亡年齢も59歳であろうと思われます。
 「大原御幸」では凡庸で自己主張も満足に出来ない無言の女、徳子を大演説家に変身させ、普通の女ならばわが子を失い、気も狂わんばかりの経験をしながら、それに強く耐え、貧苦のなかで若死にしたというお話で美化しています。
 平家滅亡から20年以上も生きていたのでは、彼女のイメージは毀れてしまうのかもしれません。
しかし、死ぬより生きる方が何倍も苦しいと思うのですが、いい人は長生きしないのが条件のようです。   (つづく)