(17) 「殿上の闇討」事件の不思議な判決

                                  阪本信子 会員
 豊明の節会の夜、貴族たちは忠盛を闇討ち(とご大層な言い方ですが、殺すとか傷つけるという意味ではない)しようと計画しました。
 忠盛は前もって知り、銀紙を貼った鞘巻を薄明かりの中で抜いてみせると、真剣に見えて貴族たちは脅え、計画は中止された。
 しかし、主の身を心配した家人平家貞が低い身分でありながら、清涼殿の近くに控えていることを貴族達は咎め、勅許なしの帯剣も違法であると鳥羽上皇に訴えました。
 忠盛は家人については「主の身を案じての個人的な行為で、自分の知らぬ事である。ご不審なら彼を呼び出し問い糾しましょうか」と答えた。貴族たちにとってこれは藪蛇で不問に付された。
 しかし、真剣でなく木刀とはいえ勅許なくこれを帯しての昇殿は法的にみると明らかに違反です。
 しかし、日本と言う国はおかしなもので、その根拠となる格式は存在しているけれど全く機能していない、といって廃止しない以上有効という実に不思議なもので、 慣習法が優先し、格式の内容は空文化しているのです。ということは施政者がこれを守る気がなければ、簡単に覆すことができるのです。
 この頃は武力の重要性が認識され、既に貴族専制の時代は終わろうとしていました。
 鳥羽上皇にとって武力といえるのは平家のみで、鳥羽院政は平家なくしては存続できなかったのです。
 ですから、「殿上の闇討ち」事件の裁判官である鳥羽上皇は始めから忠盛を無罪にするつもりであり、不利な判決を下す筈がありません。貴族たちがいかに抵抗勢力を結成して、武士の台頭を阻止しようとしても出来なかったという記念すべき裁判のお話です。
              (つづく)