(14) 因果応報の矛盾

                                  阪本信子 会員
 平家物語の作者が最も強調したいことは、清盛の悪行の報いとして平家が亡んだ、つまり因果応報なのです。
 例えば、奈良の寺々を焼いて2ケ月後、清盛は熱病に侵され、さながら焦熱地獄の苦しみの中でその一生を終えました。平家物語によれば、これは寺を焼いた報いであるとして、仏罰の適確さを宣伝しています。
 しかし、寺が焼き討ちされるに至ったにはそれ相応の原因があり、仏門にあるまじき武力闘争にその端を発しています。つまり寺の悪行に対する因果応報が平家による焼き討ちであり、その報いとして清盛が熱病で死んだというならば、エンドレスに応報が続くことになります。
 そして、頼朝の命を助けた清盛の善根は報われたでしょうか。いや、恩を仇で返されて因果応報の原則は全く外れています。
 平治の乱で清盛方につき、後には清盛の推薦によって三位に昇った源頼政も、その恩誼に報いるどころか、以仁王と倶に平家に反旗を翻したのですから、作者の言う因果応報とは一体何なのでしょう。
 つまり作者の因果応報とは、平家一門の悪行に対してのみ言われる言葉で、それが平家滅亡に繋がる事態となるという実に手前勝手な論理です。「情は人の為ならず」(善いことをすれば必ず自分に善い報いがある)という諺も、今では自助努力の勧めと解釈する人が多いのもうなずけます。               (つづく)