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http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050124(からの続き)

 平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、云々・・」という冒頭の部分は、あまりにも美文なるガゆえに、平家物語そのものが誤解されている弊害があります。
 弊害といっては言いすぎかもしれませんが、大体冒頭文はその作品を貫くテーマを示すものと言われ、最初の書き出しで先ず聴衆、読者を惹きつけるという手法は現代小説においても用いられ、作者が一番気を使うところです。
 センチメンタルな七五調で諸行無常といわれると、平家物語全巻がそうであるように思われ、「盛者必衰の理」と続くと、その思いは一入深まります。
 しかし、実際に全巻を読んでみると、文章的にそのような雰囲気を醸しているのは「冒頭文」と最後の「潅頂の巻」くらいで、中身の宗教話も生臭い世俗的権力闘争が殆どで、挿入されている悲恋物語も清盛の悪行の証明として書かれ、はっきりいえば包装と中身には大きな違いがあります。
 しかし、直截的な表現はしていないが、合戦話に登場する武将たちの生き方、死に方を思うとき、文字の背面から彼らの悲哀、哀歓が沸きあがってきます。
これぞ諸行無常そのものです。平家物語を単に情緒的美文として読むには、勿体無い話だと私は思っています。 (つづく)