日本船の船名

日本船の船名
         梅 村 伸 雄
 私が「第三つばめ丸」と呼ばれるタンカー(総トン数一万一千トン)に乗っていた時の話です。年末の紅白歌合戦を聞いていた乗組員が、船より歌合戦の会場に「赤組がんばれ!」の電報を入れた時、赤組のアナウンサーが、「第三つばめ丸の皆さんお魚を沢山獲って来てください!」のメッセージを電波に載せた。これを聞いた他の乗組員が大笑い、女性アナウンサーが時の優秀なタンカーを漁船と勘違いしたからです。お蔭で打電した乗組員は「お前、港に着いたら外出禁止、魚を釣ってろ」と云われてシュン太郎。
 船というものが知られていなかった当初、船乗りさんは毎日新鮮なお魚が食べられていいですね、と言われたもの。しかし、船が15ノット程のスピードで走っていると魚は釣れません。仮に釣れたとしても魚の顎が外れてデッキに引き上げることは出来ません。
 このように日本人の船についての知識が乏しかった時代には、珍問奇問が我々に寄せられたものです。外国に行って一番多く寄せられる質問は、「Maru」とはどのような意味があるのか、と言うことです。そこで、尤もらしい説明をすると、次のような話が幾つか残されています。
1、日本でも西洋でも船は城になぞらえていて、英語では船首の部分をFore-castleというが、日本では、城は本丸、一の丸、二の丸等から成っていることから船に「丸」を付けた。
2、昔は男子の名前には、牛若丸のように「丸」を付けたが、船も子供と同様に家の宝であることから、「丸」を付けた。
3、豊臣秀吉が人が驚くような大船を造って日本丸と名付けたので、それにあやかった。
4、中国の黄帝の時、天から下って船を造ることを教えた白童丸に因んだものである。
5、公家の麿からの転化である。
 さて、このように日本船は外国ではMaru-shipと親しみを込めて呼ばれていましたが、昨今Maru-shipの姿は見られず、寂しい限りです。