(73)平家は既に負け体

                              阪本信子 会員

 東国追討使は平維盛を大将に、古色蒼然たる追討使出陣式を福原で行い、美々しく飾り立て平家物語風のサバ読み勘定では公称3万余の大軍で福原を出発しました。実数は多くて十分の一の3,000位でしょう。
 しかし、全てスローモーションで福原出発より24日もかかって富士川に到着した時には、アテにしていた伊東、大庭、橘などは頼朝方に捕らえられ、兵も兵糧も予想通り集まらず、だんだん士気は尻すぼみです。
 一方頼朝の方は「やるしかない」。大豪族千葉氏、上総介広常らが大軍を率いての参陣でなだれ現象を生じ、雪だるまのように増えた軍兵は平家の3倍にも及び、沼津、伊豆西海岸より兵馬輸送も滞りなく、やる気満々です。
 東国武士たちは国府の命令によって平家方に動員されるのは必定で、もし勝ったとしても現状は少しも変わらないだろう。今まで不満を持っていた国府の命令を聞くより、今や大軍を擁し、以仁王の令旨を掲げる頼朝に与力した方が得だと判断したのでしょう。
 東国武士の思考回路では、追討令が出て15日以上も経っているのに未だ福原で出陣の儀式をどうしようかと会議中というのは信じられませんでしたから、迫ってくる追討軍を足柄山で食い止める為にも、頼朝は未だ旗色を明らかにしていない武蔵、相模の武士団を纏めておく必要があり、策をめぐらせるのに精一杯でした。
 こんな源氏に比べ、平家の何とのんびりしていたことでしょう。戦う前から平家は負けることになっていたのです。
(つづく)