(181) 正しきが勝者ならず

                         阪本信子 会員
勝者が敗者に力の優越を誇るのは仕方がないとしても、道義的優越を誇るのは筋違いです。
正しいから勝ったわけではない。
 平盛俊は剛の者として聞こえた男で、個人戦ならば誰にもおくれをとる者ではありませんでした。
 それがむざむざと首をとられてしまったのです。
 源氏方の猪俣小平太を簡単に抑え込み、首を斬ろうとした時、小平太は「降伏したものの首をとる法はないでしょう」といいました。人の良い盛俊は「それもそうだ」と助け、二人で畦に腰を掛け休んでいると、源氏の武士が近づいてくるのを見て、猪俣は手柄を横取りされると、油断している盛俊を押し倒し殺してしまいました。
 猪俣の慾どおしい品性下劣を責め、情けが仇となったと嘆く前に、食うか食われるかの戦いに盛俊のこの甘さを、ご立派と手放しで称賛できるものではありません。
 しかし、実際に戦いにおいては知力体力を尽くし、生き残る為にはいかなる手段も弄するのが人情というもので、平家作者は剛の者盛俊が尋常に討たれたのではなく、それらしき理由を設定し、平家の負けるべくして負けた体質として書いたのです。
 私たちは武士といえばある種の理想像を思い浮かべますが、平家物語においては源氏の武士より平家の武士の方が高潔な精神の持ち主のように思われます。
 鎌倉幕府は秩序を保つために、東国武士のモラルの徹底に苦慮していますが、案外この話は実話だったかもしれません。(つづく)